変るもの、変らないもの

人はたぶん、生まれたときからその人の本質の部分を持っていて
成長しながらその本質を補完していくんだと思う。
表層的には様々な変化があったとしても、生まれ持った本質は変らない。
成長の過程で、その人なりに、その本質なりに、選択的に吸収し
その人自身を形成していく。
外部から示唆したり、教育したりしたとしてもやはり
根本的には自身の選択性に委ねられるわけで
その人自身を作り上げるのは、その人自身以外にはありえない。
同じ経験をしたとしても、必ずしも同じ結果になるわけではない。


その人が選んだ自分自身は、尊重されるべきだと思う。
自分自身が選んだという自己責任が存在する以上
最終的にはすべては自身に帰着するわけで
その責任において、その人の選択を、意思を侵すべきではない。
互いに尊重はしても、互いに許すことができないこともありうる。
互いに許せない、認められないという状況を、互いに尊重するしかない。
尊重しつつ、やはり自分自身に従って、生きるしかない。
それが、自分自身に与えられた、自身が選ぶ、自身が決めるという
権利に基づいた自分自身の責任だと思う。


人は成長し、変る。
しかし、変れる部分は表層的な部分でしかないと思う。
本質は変らない。
人が変るのは、成長によって、本質とのブレが修整されるだけ。
周囲にとって正しい修整は、それは単に受け入れられる修整であったに過ぎない。
受け入れられない、認められない修整はたぶん、間違った変化だと認識されるだろう。
もしかしたら、その人にとっても間違った変化かもしれないが
後日、さらなる修整によって修正されることになるかもしれない。
修整されること自体は間違ったことではないと思う。
よりその人自身に近づいた(かもしれない)ということを
むしろ尊重すべきだと思う。


人は変るが、人は変らない。
人は変われるが、人は変ることができない。
人を変えることができるし、
人を変えることなんてできない。
自分自身を信じて成長しつづけたい。
他人を信じて成長を尊重していきたい。

[Lineage]

Spirits の元メンバーのひとりが、自分自身を修整した。
彼は自分自身を見つけ、また一歩、自分自身に近づけたんだと思う。
彼の決断を受け入れ認めることはとてもつらいけれど、
彼がより純粋に自分自身になっていくことを尊重したい。
彼と話をすることで、こちらもまた、
自分自身を見つけることになったことを感謝しつつ。