村上春樹しか読まなくて悪いか


いやまあもちろん、他の作家も読むけどね。
でもやはり、日本人の書いたものは殆ど読まないかも。
作家の名前が思い浮かばない・・・。


ノルウェイ・」の永沢さんではないが、
「死後二十年を経た作家以外、手に取るのは時間の無駄」的思考で作家を選んでるのかもしれない。
昨日まで読んでいたのは「四つの署名」(原題は The Sign of Four なので「4のしるし」じゃないのかと思うのは無学なる故ですか。「四つの・」の方がぜんぜんいい訳題とは思う)
その前は「シャーロックホームズの思い出」(丁度ホームズものマイブームな周期だったらしい。毎年そういう時期が来る)
といった具合に海外の翻訳モノ(しかも古典級)ばかりであります。


さて。
いよいよ「海辺のカフカ」を読み始めた。(もちろん文庫です。スミマセン)
未読の長編を手に取るのは「ねじまき・」以来かも。


かつて「ねじまき・」の第三部を読み終えたとき、(第二部刊行から第三部刊行まで時間があいたのでかなりワクテカしていたのだが)
筆者の作風の変化に戸惑い、また同じころリアルで結構忙しくなったため
新刊の長編作品をちょっと敬遠していたところがある。
結局、新刊がいろいろ出ていたのは知っていたのだけれど、
なんとなく重い気分がして、ついつい既読の作品をループする日々を過ごしていたわけだ。
(ちなみにこの間、「レキシントンの幽霊」はハードカバーで買ったのを思い出した。ちなみにこれは短編集)
(さらにこの間、「スプートニク・」の文庫版を買ったことを思い出した。でもこれは長編とはいえないよね)


マイベストである「世界の終わりと・」と比較して、その地位が揺らいでしまう恐怖感もあったのかもしれない。
しかし、ちょっと目を離したすきにカフカ賞とか取ってるし、さらに他の賞にも期待がかかるとのこと。
そういうわけで、ちょっと厚めの文庫本2冊を買い込み、地下鉄のいつものシートに座り最初のページをめくった。


ところで、「村上春樹は人気作家」ということになっているらしいのだけれど、身近に愛好家は、殆ど全くと言ってよいほど居ない。
たぶんみんな、シマリスが小さな巣穴の中で長い冬が過ぎ去るのを息をひそめて待つように(村上風?)
誰も知らないところでこっそり読んでるんだろうな。
確かに「あたしムラカミワールドが好きなの。一緒にお話ししましょうよ」なんて言われても、
いったい何から話してよいのやら困ってしまうし、そもそも言葉で感想しづらい作家でもあるしね。
この人の作品を読むと内省的になってしまう傾向があると思うし、
他の人と意見交換するには多少なりとも分析的にとらえることが必要になってくるし、
そうすることが必ずしも作品を味わうことにはつながらないとも思う。
なので、読者ひとりひとりが頭の中で(あるいは胸の内で)ひそかに楽しんでいることでしょう。


来週の12日かもしくは19日あたりに今年のノーベル文学賞の発表がありそうならしいので、
村上春樹が受賞できることを祈っておきます。


久しぶりに日記を書いてみたけれど、
こんな散文になっちゃって・・・エヘヘ



多分「村上・」とか「シャーロック・」のキーワードに釣られて
何人かこの日記を訪れる人がいるんだろうな。

たいした内容じゃなくてごめんね。